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映画撮影現場の通訳 [通訳]

先週から数日間、映画撮影現場の通訳をしました。
場面はラテンアメリカの国という設定で撮影が行われたので、200名を超えるエキストラさんも、役者さんもラテンアメリカの方々だったのです。

撮影チームのほうは、監督さんがいて、その下に助監督さんが何人もいて、音声さんや、カメラさん、大道具、小道具、ヘア、メーク、衣装、記録などを担当される方々がいて、大所帯です。
私は監督つきの通訳だったのですが、面白かったのは、その指揮・指示の伝わり方でした。
役者さんが演技している場からかなり離れた見えない場所にモニターが設置され、監督、チーフ助監督、それに加えてもろもろの人たちがモニター前に陣取ります。
監督がコメントしたことが、まず、となりの助監督に伝わり、助監督がトランシーバーで、演出担当の別の助監督に指示を伝える場合と、会場全体に響く音声のマイクで指示を伝える場合があります。
がなりマイクの指示は、その直後に私も同じマイクで会場全体に聞こえるように訳します。
トランシーバーでの指示の場合は、モニター付近からダッシュで、役者さんのそばまで行き、助監督が出す指示を耳元で訳します。
エキストラさんへの指示の場合は、エキストラ担当の助監督さんが、会場で指示を出し、エキストラ担当の通訳さんが訳します。
映画撮影現場は大勢の人たちのコミュニケーションのたまもので成り立っている場所でした。
最終日は18時間連続の撮影で、その間、モニター付近と会場との間を走り続け、へろへろに。
慣れない現場でしたが、映画づくりの現場を体験できて、とても面白かったです。
マイク使いと耳元でのウイスパリングの両方を一日でこなすのははじめての経験でした。
やはり、通訳は「体力」ですね。



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不思議な記憶 [通訳]

先日3日間連続で二人で同通をした後のこと。疲れきってはいたのですが、さきほど訳した講演の内容を相棒の通訳さんと思い出しながら話していたとき、私と彼女の理解が異なっていたので、どっちが正しいのかお互いが理解した内容を話していたときのことです。
日本語での講演をスペイン語に訳していたはずなのに、私は、「だって、aparteって言ってたよね~」と言い、相棒が「え!日本語で話してたんだから、スペイン語でaparteというはずはない!」と、もっともな主張。うーむ、確かに日本語で話していたから、スペイン語でaparteというはずはないのだが、どうしてスペイン語で私は記憶していたのだろうか?と、不可解な思いをしたのでした。
ずっと前に、同じ言語に訳出してしまう例を書いたことがありますが、それに似た現象がおきていたようです。それで、内容の真偽に関しては、二人の理解は平行線で、どっちだったのかは未だなぞです。

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医療分野ポルトガル語スペイン語講座 [通訳]

インターネットでこんな講座を見つけました。
少しHPから引用してみます。

趣旨

愛知県には、ポルトガル語とその姉妹語のスペイン語を母語とし日本語を完全には習得していなくて、生命にかかわる医療などの場面でコミュニケーション支援を必要としている中南米出身者が多数居住し、地域の産業を支えています。
医療などの場面では、相手のことばや文化を少しでも理解していることによって、信頼関係を築くことができます。また専門的な医療通訳とまではいかなくても、身につけた外国語を活かしコミュニケーション支援するためには、外国籍住民の現状、基礎的な通訳技術と心得、基礎的な医療知識等を習得している必要があります。
愛知県や豊田市、愛知県国際交流協会、愛知県立看護大学などのご協力を得て、本学外国語学部スペイン学科の教育研究の経験を活かし、東海地域のニーズに対応できるコミュニケーション支援能力を身につけてもらうため一般の方対象の講座を開きます。

http://cer.aichi-pu.ac.jp/com-medico/apply/index.html

医療通訳養成の気運が高まっているようで、心強いです。


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愚痴 [通訳]

通訳はなぜこんなに疲れるのか

仕事をいただけるのは非常にありがたいことで感謝の気持ちでいっぱいです。

お声をかけてもらえないと、フリーランス通訳者の私はご飯さえ食べられないわけですから。

でも、通訳をした後の疲労感…

おそらく、通訳をする前に過度の緊張状態が続くことも原因だと思われますが、通訳という作業が極度の集中力を必要とする作業であることが要因でしょう。講演会などの逐次通訳では、何百人という聴衆の前で話さなければならないということもプレッシャーになっているのでしょう。同時通訳の場合は、ブースに入りますので、姿をさらさなくてもいいですが、同時に訳出するというスピードが大きな負荷となってのしかかります。つまり、どのような形態の通訳であっても、疲労はつきものだということ。他のお仕事でももちろん疲れるでしょうが、通訳後の極度の疲労感は、帰りの電車さえ、路線を間違えて乗ってしまうほどです。(私だけかも?)

通訳をしていると、会議やセミナーなどの資料の翻訳を頼まれることもあります。

私は通訳だから、翻訳はしない!と言い切れればいいのですが、そんなことを言っているような収入もないし、翻訳自体は、文字を見て、表現を確認し、しっかりとした訳文を作成するという、通訳の質を支える作業でもあるので、お受けすることにしています。しかし、通訳直後は翻訳作業ははかどらず、締め切りに追われるはめになります。

あー、愚痴を書いて、すっきりしました!

これからも通訳・翻訳生活は元気に続きます。

 


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同時通訳 [通訳]

昨日、今日と久しぶりに同時通訳をした。

普段、逐次の会議通訳が多いこと、事前に資料が何もでなかったこと、スピーカーとの打ち合わせもまったくない状態であったこと、などから、おとといは不安でたまらなかった。

久しぶりに、逃げ出してしまいたいようなプレッシャーに襲われて、昨日は重い足を引きづりながら会場に到着したのであった。たまたま一緒にやってくれたもう一人の通訳さんが、ベテランで、とてもやさしい性格の方で、いったん始まってみると、案ずるより生むが易しというように、おおまかにはスムーズにいった。

同時通訳は、1時間の講演でも通訳者二人でやれること、逐次に比べて、リテンション時間がないので、負担が少ないことがメリットである。逆に、訳出文の完成度やいわゆるきれいな訳を聞きやすいトーンの声で「聞かせる」ことが難しく、話し手のスピードが速ければ、こちらも機関銃のように訳出をしなければならないといったデメリットがある。しかし、ほぼリアルタイムで話し手が言っていることが理解できるので、対談などの場合は、リアクションがすぐできるという大きなメリットは大きいように思えた。

事前に資料をいただければ準備をすることができるので通訳としてはありがたいが、ぶっつけ本番でもなんとかなったのは、一般的なトピックであったからである。やはり、発言要旨がわかったほうが精神的にも助かるし、訳出の質の向上にもなることは間違いない。

 


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通訳が号泣、訳せない [通訳]

昨日のサッカー日本代表の試合を見ていたら、前半とった1点を守りきれず、後半カタールのセバスティアンにフリーキックを決められてしまい同点にされてしまい、とっても残念。その後、オシム監督のインタビューを見ていると、質問してきた記者に逆に質問を浴びせかけてました。その通訳さん、突き放したような話し方で、監督の口調であるかのような、語り口。ここですでに監督はかなり怒りのモードでした。その後、テレビの解説者が「あれ、通訳ほんとにわかってたんですかね?」というコメントをするのです。やっぱり通訳者って常に疑いのまなざしを向けられる存在なのですね。
興味深いのはその後のロッカールームの様子について書かれた記事です。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070710-00000007-spn-spo

タイトルは、「通訳も涙。。。」で始まります。
オシム監督がロッカールームで選手に怒りをぶちまけているとき、通訳は泣いてしまい、半分も訳せなかったそうな。この通訳の人がどういう心情だったのかはわかりませんが、通訳って時には自分が言いたくないことも、自分の口から言わなければならないし、訳している最中に内容に感動して心打たれてしまうっていうことはたまにはあること。一種の「シャーマン」的な存在なのかも。
通訳が泣いてしまい、半分は訳せなくても、それ以上に非言及指示メッセージは伝わったはず。
通訳の役割について考えさせられる記事でした。


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スペイン語からスペイン語に通訳? [通訳]

先日のアメリカで行われたWBCでキューバチームの記者会見があり、スペイン語と英語で通訳をまじえ、質疑応答が行われていたときのことである。逐次通訳で、質問・答えが修了してから訳出を行うスタイルだった。話が長いと、通訳者の負担も大きくなるが、今回は選手又は監督は2分強はなすこともあり、かなり大変であったと思う。ある選手がスペイン語で発言し、それを通訳者が訳出をしたのだが、なんと、スペイン語に訳出をしていたのだ。私自身は同じ言語に訳出してしまったという経験はないので、興味深い現象だと思った。ベテランの通訳者に質問してみたら、同僚が英語を英語に訳出(解説)してしまったのを見た経験があるとのこと。珍しいが、起こりうる現象だそうだ。通訳者は通訳モードのときは、何語で聞いているのかを明確に記憶しようと努力しているのだが、普段の会話では、「こういう話を聞いたことはあるが、何語できいたんだっけ?」というように、話の内容(命題)はおぼえていても、言語(記号)はおぼえていない場合があると他の通訳者は話してくれた。これは、セレスコビッチが言うところの「脱言語化」のプロセスを証明している現象のように思えるのだが、どうなのだろうか。


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