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医療通訳 [通訳]

今日は、知り合いのお子さんが入院している病院で通訳をしてきました。
担当医との面談の通訳でしたが、お医者さんがたっぷり時間をかけて、言葉を尽くして、説明をしてくださり、患者本人や親の不安や疑問に耳を傾け、受け止めながら面談を進めてくださいました。
耳元でウィスパリングをしながら通訳を進めましたが、通訳にも配慮して、発話と発話の間にたっぷりポーズをおいて話してくださったり、とても和やかで安心できる雰囲気で進められた面談でした。
知り合いに頼まれてボランティアで同行した通訳でしたので、立ち位置は明らかに知り合い側。
知り合いが聞き忘れている質問をリマインドしたり、知りあいが質問を始めるタイミングが、まだ医者の説明が全部終わっていない時だったので、それを伝えるなど、コミュニケーションの交通整理をしたり、明らかに黒子ではないフッティング。

ところで、医療通訳の現場で感じたことを綴られているMEDINT(医療通訳研究会)便りにとても印象に残る記事が書かれていました。「通訳の原動力は恐怖?」というタイトルの記事です。

医療通訳の現場の通訳さんたちの多くがこのような原動力に動かされているのではないかと拝察します。
これは、通訳という業務が職業であると同時に、職業としてではなく、倫理的、基本的な権利としてのコミュニケーション権を補償するということに密接にかかわる業務だからでしょう。
ただし、これは医療通訳者の善意に頼りきっている医療現場の状況が示されているのではないかと思います。

子どものころ親や同郷の人たちの通訳をしていたという中南米出身者へのインタビューでも、同じ言説がよく語られます。
「日本語とスペイン語ができる私たちが同郷の仲間の通訳をして、助けてあげるのは当然のこと」と考えて、できる限りのことをしてきたと。しかしそういう人のほとんどが、現在では「通訳・翻訳はもうやりたくない」と言っています。
通訳者個人の善意や使命感だけでは、個人が押しつぶされてしまう現状があるようです。









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